金剛峯寺(和歌山県)|高野山奥の院には弘法大師の願いが今も生きている

パンフ
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創建にまつわるエピソード

飛行三鈷杵(ひぎょうさんこしょ)

 弘法大師が遣唐使として大陸に渡っている時、唐の明州の浜辺から三鈷杵を、東の空に向け投げられた。

「密教の道場に適した場所を示すように祈って。」すると三鈷杵は、落ちることなくはるか日本の方向へ飛んで行った。10年後嵯峨天皇から高野の地を賜り現地へ行くと、犬の先導で木の枝に引っかかっている三鈷杵を見つけた。

狩場明神との出会い

 高野の地は、丹生明神を信仰する一族の狩人が住んでいた。その人たちは、金を製造する際に必要となる「丹生」を押さえていた。大師が高野の地に入ることができたのは、丹生(明神を信仰する)一族と狩場(明神を信仰する)一族の協力を得ることができたから。また、そこに、大伽藍を建造することができたのは、丹生氏の錬金による財力をバックに、その資金を投入できたからとも、言われている。

高野山という「山」は無い

 高野の地は台地であり、それ以上に高い山は存在しない。宗教の「山号」が「高野山」であり、マウンテンはない。この話も、東京別院の先生からの情報。

奥の院

一の橋

 お大師様がここから帰るまで、送り迎えをして下さるという信仰があり、この場所では、一礼をする。ここから御廟(ごびょう)まで約2kmの参道には、何百年も経た老杉や、武将から庶民まで20万基を超すお墓や供養塔が並ぶ。それも、生前敵対したはずの武将の墓が仲良く(?)隣同士で。普通にそのようにあること自体がとても不思議。本人は死んだのだから気にしようがないが、家来や身内や家族・子孫は気にするだろうに。

有名武将の墓

 島津家、徳川家、毛利家、織田家、豊臣家、明智家、石田家、武田信玄・勝頼、上杉謙信・信玄、柴田勝家、前田利家などなど

中の橋

 一の橋から約15分。ここには駐車場があるので、ここからスタートされる方も多い。

御廟橋

 参道で最後の橋。手前の右手に15体の仏像があり、柄杓がたくさん置いてある。玉川の水を柄杓ですくい、仏像に手向け流す。それは、亡くなられた方の冥福を祈り、自分自身の穢れや苦しみを流させていただくという意味が込められているとのこと。心を込めて。(水掛けとは違うので、区別が必要)

ここから先はお大師様にかなり近づくことになるので、大声を発したり、はしゃいだりしないように注意する。

御廟

 弘法大師が入場された御廟には、宗教的解釈では、今も大師が、衆生を救う願いを持ち生き続けていることになっている。一日2回の食を運ぶ儀式も1200年間続いている。そんな宗教は、他にはないと思う。もともと大師は、衆生救済のために仏教の修業に進まれ、遣唐使として唐にわたり、戻られてからもすべてそのために行動をされて、一番のタイミングで入場された。このような偉業をなさった方は他にはいないのではないだろうか。(即身仏という、座禅したままミイラ化した聖人は沢山おられるが、「自身の悟り」を目指す、我欲に根差しており、全く別だと思う。)

弘法大師の御言葉

「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きん。」

現代語訳:人やあの世、宇宙がなくなるまで絶対に諦めずに、初志貫徹する!

その想いの強さを表しているお言葉である。

拝観料 金剛峯寺 500円

根本大塔 200円

金堂   200円

住 所 和歌山県伊都郡高野町高野山132
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