近江神宮(滋賀県)|天智天皇が飛鳥から大津京へ遷都した理由とは

近江神宮しおり
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神社概要

  • 神社名称 : 近江神宮
  • 所 在 地: 滋賀県大津市神宮町1-1
  • 御 祭 神: 天智天皇
  • 創  建 : 1940年

はじめに

  • 琵琶湖西岸の山裾にある天智天皇をお祀りする神社。
  • 京阪電車近江神宮前駅から徒歩約10分。

由緒

  • 667年飛鳥から大津へ遷都した由緒に因み紀元2,600年にあたる1940年(昭和15年)に創建された。

天智天皇

  • 中大兄皇子・天智天皇と言えば「大化の改新」や「百人一首の第一首」が思い浮かぶことと思うが、他にも「時」とのゆかりが深く漏刻(水時計)と日時計が一般企業から寄進され設けてある。

時計博物館

  • 天智天皇が日本で初めて漏刻(水時計)を設置した歴史から、境内には民間企業から寄進された日時計や漏刻などが設けてあり、普通の神社とは違う雰囲気がある。

化の改新

  • 朝鮮半島の任那回復のため新羅遠征をおこなってきたが、その任那から手を引いた翌年の603年から朝廷の体制を改革する動きがあった。

645年乙巳の変(いっしのへん)

  • 中臣鎌足の主導のもと中大兄皇子と大海人皇子が協力し、蘇我氏の絶大な政治力を排除した。
  • 661年天智天皇即位。
  • 663年白村江の戦い敗北。百済から手を引く。
  • 667年(天智6年)近江大津宮を営み、飛鳥から遷都した。

遷都の理由

  • 倭国は白村江で間接的ではあったが唐に敵対し敗北した。このため唐の倭国に対する敵視をかわす狙いがあったか。
  • つまり国外にあっては遷都して「日本」と名乗ることで、倭国とは別の国であることを強調した。半面国内では大改革の最中で民から信任を得ているわけでもないので倭国から「倭(やまと)」さらに「日本(やまと)」としての継続王朝であるように装ったのでは?

13の句碑・歌碑

  • 句碑・歌碑合わせて13の石碑があり作者は、天智天皇をはじめ、松尾芭蕉・柿本人麻呂・大友皇子など。天智天皇の作品は小倉百人一首第一首で有名な

「秋の田の刈穂の庵の苫をあらみ、

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             我が衣手は、露に濡れつつ」

  • また近江神宮は、アニメ「ちはやぶる」の舞台にもなっていることで有名。
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