【 もくじ 】
謂れ
古事記・日本書紀
伊弉諾尊が伊邪那美の命を追って黄泉の国へ行った帰りにその穢れを払うために禊祓いをされたときに、海中より生まれた。
境内


この日は、6月の梅雨模様だったが、その中でも清々しい雰囲気に包まれていた。久しぶりに参拝させて頂きました。
コロナ禍の中、大らかな感じでした。
鎮座の由緒
神功皇后が「新羅遠征」の時、住吉大神の御神託により勝利を収めたとある。
新羅遠征
新羅遠征の元来の理由は、熊襲征伐にあった。仲哀天皇の御代に、熊襲は朝鮮の新羅と手を結び勢力が盛んであったが、神功皇后が熊襲を平定し、新羅をも攻め大勝利した。
神功皇后は倭国の女帝?
この「新羅遠征」と、「白村江の戦い」を混同していたが、新羅遠征は紀元後200年、白村江の戦いは663年であり、全く時期が違う。となると、神功皇后は倭国の女帝ということ。しかも、ここから遠征しているということは、邪馬台国は畿内にあったということ?
邪馬台国は畿内にあったことを隠した?
古事記・日本書紀には邪馬台国の記述がない。倭が九州から近畿に移動したことは間違いないが、時期がはっきりいない。
白村江で大敗し、漢と間接的に敵対することとなり、北九州に軍隊が駐留されてしまった。本格的に敵視されないように、大化の改新を行い、「倭国」とは別の「日本」を認めさせることに成功した。
となると、後から日本成立を文書にした古事記・日本書紀では、「倭国が既に畿内にあり大和朝廷に移行していたのでは都合が悪く、神武が東征し、倭国とは別の日本国を作ったことにした。」ということなら、つじつまが合うが。
いかがでしょうか?