横山八幡宮(岩手県)|義経北行きに何と弁慶も同行した!?

横山八幡宮鳥居
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義経北行き伝説

 平泉で死んだのではなくて、生きて平泉を脱出しこの地に滞在したという言い伝えがある神社。地元の方から聞いてやってきた。

由緒書き看板

神社入り口の社務所脇にある由緒書き看板に、確かにそのように書かれていた。義経一行は平泉から逃れてここを訪れ、何年か滞在後高齢だった家臣一人を残し、旅立ったとする内容である。その家臣の名前も鈴木三郎重家と明記してあり、当神社の宮守となったとのこと。ジョークでは書けない内容。(御本家、平泉では「歴史通り」との情報しかなかった。)

社務所横の神社由緒書き

社務所に問い合わせしてみた

そのあたりを、社務所に声をかけ、対応してくれた女性の方に率直に聞いてみた。

「その一行の中に、弁慶はいたのでしょうか?」

すると、「少しお待ちください。」と部屋の奥へ入られ、しばらく待った後「安心ください。弁慶はいました。」とのこと。(宮司さんに、本当に聞いてくれたようだ。しかも御父上かな、と、想像した。)私は嬉しくなったが、こんなとんでもない話をまじめに受け答えしてくれて、真顔で話してくれている。(私は、動揺しながらも)静かにお礼を述べて、参拝に向かった。

境内

階段の上部から見下ろす階段上から下を見下ろす

 この長い階段は相当きつい。無理やり登り切って下を見下ろすと、ご覧の通り。これとは別のゆるい坂道もあった。

これは、下にあった学校の生徒達のクラブ活動に、大いに利用されているのでしょうか。

社殿は、光が満ち、明るく柔らかい雰囲気が漂い、筋肉痛になりそうな足の痛みが、心なしか少し和らぐ感じ。

写経百巻

 義経はここで、大般若心経の写経百巻を残してているというここまで証拠が揃うと本当に信じてしまいそうになる。であるなら、「弁慶の立ち往生」の話が、義経を逃がすための大ウソだったことになり、それには感服する。または、後世の作り話?ならばありそうだが、疑えばいろいろ可能性が思い浮かぶ。

宮古の地名の由来

1006年、阿波の鳴門が、突然鳴動し怒涛逆巻く天変地異が起こり、帝はこれを鎮めるように諸国にお布令を出した。八幡宮の禰宜が祈祷をすると御神歌を得、鳴門へ赴き、

「山畠に 作りあらしの えのこ草 阿波の鳴門は 誰かいふらむ」

と詠むと、たちまち怒涛がおさまった。帝は大いに喜んだ。また、禰宜に八幡宮の様子をお聞きになったので、

「我が国に 年経し宮の 古ければ 御幣の串の 立つところなし」

と神古(さ)びた様子を詠むと、「宮の古ければ」の一節を取り、「都(華洛)」と同訓の「宮古」という地名を賜ったとのこと。

この京の都から遠く離れた場所でありながら、帝から地名を賜るというのは、大変な誉であったのだろう。

さかさ銀杏

また、阿波から帰った時、手にしていた杖を境内に刺したところ、「さかさ銀杏」の大木となり、ご神木となった。それにより、境内に金比羅社が祀られたとのこと。確かに、古めかしいこじんまりとしたお社があった。

2018年の年頭に、この近くで工事施工中で、安全祈願の御祈祷をお願いし、20名余りの一行で参拝させて頂いた。拝殿の中に全員が余裕で入ることができた。石油ストーブが焚かれていたし、床も暖かかった。(電気の床暖があるのだと思う。その日は寒かったので、とてもありがたかった。)

周辺情報

神社は第一中学校に隣接しており、入口から要注意で進入する。社務所横の駐車場は乗用車3台程度のスペースしかない。

神社名称 横山八幡宮
主祭神 品牟陀和気命(応神天皇)
配祀神 豊受姫命、天照皇大神
創 建 680年
住 所 岩手県宮古市宮町2丁目5-1
参拝歴 2016年

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