【 もくじ 】
はじめに
2020年、新型コロナウィルス感染症がまだ拡散していない頃に参拝した。
由緒
901年に菅原道真公が大宰府に左遷された際、博多に立ち寄った。その時、現在の薬院新川の水面に映った自身のやつれた姿を見て、悲しんだとされ、それにちなんで社殿が建設された。福岡市天神の地名はそれに由来する。
鳥居と門をくぐると、鯉が泳ぐ小さな池がある。きれいに手入れされていて、心地よい。
手水舎
池の先の右側の手水舎
そこを更に進むと左に社務所があり、その先は、本殿へと。
本殿
門をくぐり更に奥へ進み、本殿へ。
繁華街の真ん中にあり、周りとはさほど遮断されていないが、こじんまりと綺麗。
菅原道真公のお話
左遷の経緯
兵庫県瀬戸内海沿岸には、何か所もゆかりの神社があり天満宮がお祀りされている。調べてみると、次のとうり。
道真公は、901年56才の1月25日に醍醐天皇から、宇多上皇を欺き惑わした冤罪により、大宰権帥(だざいのごんそち)に左遷の詔勅を受け、2月1日に京都を出立。途中、神戸、曽根、岡山牛窓、玉野、今治、呉、岩国、小倉、下関などに立ち寄りながら、大宰府に到着。その旅費は道真の自費。4人の子供も流刑。大宰府では政務に就くことが許されず給料無し。従者も無し。その2年後の59才の時、無念の最後を遂げた。
散々だが、権力者がその力を揮えば、このくらいのことをするものなのかと改めて知った。情けをかけるくらいなら、はなから左遷などしない。
怨霊へ
道真の死後、道真冤罪に関係した人物が次々と亡くなり、醍醐天皇も。そこで、道真怨霊説が広がり、人々が大いに恐れた。その結果、道真は、北野天満宮に神として復権し祀られ、正一位左大臣から太政大臣となった。これによって、道真のゆかりの場所では、祟りを恐れて次々と天満宮をお祀りしたのだと思う。
怨霊から祟り神へ
菅原道真という人は、能力があったことは間違いなさそうだが、人から嫌われないように努力をしなかったようで、教訓にすべきかと。
名 称 | 水鏡天満宮 |
住 所 | 福岡県福岡市中央区天神一丁目5-4 |
主 祭 神 | 菅原道真 |
創 建 | 不 明 |
参拝時期 | 2020年2月 |