神功皇后の朝鮮遠征から白村江の敗戦、日本成立までの歴史を考える

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何故、邪馬台国と卑弥呼のことがわからないのか

古事記・日本書紀は天武天皇の命で編纂され、720年に完成。

古事記は大和言葉で国内向けに、日本書記は漢文で国外向けに書かれた。

当時倭国は、「白村江の戦い」で敗れ、間接的に唐と敵対することになってしまったが、本格的な敵対関係は避けたいことから、新たに「日本」という国が倭国とは関係ない別の国として統一したことにした。そこで、いろいろぼやかした表現で国の成立を表現しているので、特に、「空白の4世紀」といわれる時代が不鮮明になっているのではないかと考える。

神功皇后の熊襲征伐と新羅遠征

366年に倭国は百済と同盟関係を結び、翌367年から約300年間、朝鮮半島に遠征した。一小国がそれほどの長期にわたる海外遠征を実行できるわけがなく、倭国が統一国家として成り立っていたことが伺える。

そして、それが神功皇后の功績として日本書紀にも書かれている。

白村江の敗戦

663年、倭国・百済は新羅・唐連合軍に敗北し、百済が滅亡した。(倭国水軍400隻は燃え上がり大敗した)

この戦いでは、倭国は直接は新羅との戦いであり、唐は間接的な敵であったが、唐軍は北九州に上陸し駐留した。

日本国は倭国と別種

倭国を日本国と改名し、近江に遷都し、古事記・日本書紀を編纂して、倭国とは別の国で、なおかつ、中国に引けを取らないくらいに古くからの伝統を引き継いだ国であるように示そうとし、「倭国とは別種なり」と認めさせ、成功している。

倭国と不連続にしたことで、邪馬台国や卑弥呼がわからなくなった。

 

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