石舞台古墳(奈良県)|2,300tの積石は蘇我馬子の墓か!?

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横穴式石室

花崗岩の巨石の石組み構造。室玄へは、地下にもぐるような形になっており、自由に入ることができる。今は何にもなく、あっけらかんとしている。とにかく大きい。

6世紀代の小さな古墳を壊して、7世紀初め頃に築造されたことまでは判明している。30数個、総重量2,300tの石が組み合わされている。天井石は77tという。

誰の墓

 蘇我馬子説が有力と言われている。石室の壁に「馬子墓」と刻まれているという。中に入ったが、全く説明もなく分からなかった。他には、馬子の父親の蘇我稲目の墓とする説もある。

どうして巨石がむき出しの状態になったか

 現地の説明看板には、① 自然流出説、② 洪水災害説、③ 人為的な剥ぎ取り説などが掲示されていた。しかし、可能性としていろいろ言うのは自由だけど、現地に行ったことのない人が机上で考えたことのように思える。あの場所の周辺は、平坦な棚田地形であり、大量の土砂が自然に流れたり、大きな水が流れてきたりするような形状ではないことは一目瞭然である。③の人為的なは剥ぎ取りと考えるのが最も現実的であると思う。

盛土された元の形状

 1933年、1935年の京都帝国大学(当時)の発掘調査の結果、当時有力視されていた、前方後円墳ではなく、一辺51mの方形であり、その他に貼石列、空堀、約80m四方の外堀があったことなどがわかった。

封土剥ぎ取りの無残

 先述のような壮大な古墳の封土を剥ぎ取る作業について今一度考える。約1、000m3の土砂を掘削し、約1km運んで処理するとすると、述べ約1万人の人出が必要(2人一組でモッコで運搬するとした)。こんな非生産的な仕事は本来人は進んではしたくないので、権力者の相当の意思の元で作業が強制されたことが想像できる。壮大な古墳であったものを、石室を丸裸にした状態を無残にさらし、蘇我氏に縁を持つ人が絶対に復活できないようにしたのだろう。それほど、地元の人には強く支持されていたということの証拠ではないかとも思う。

乙巳の変

 蘇我馬子の孫にあたる蘇我入鹿が白昼、中国からの使者を迎えた天皇の面前で斬首された。入鹿の父である蝦夷はその翌日、自害に追い込まれた。蘇我氏の権力をはく奪する意図で、入鹿の墓である古墳の封土が撤去されたとする説が妥当だと考える。

住所 奈良県高石郡明日香村島庄254番地

営業 8:30~17:00 年中無休 駐車場 普通車500円

大人・大学生 250円

高校生 200円

中学生 150円

小学生 100円

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