靖国神社(東京都)|遊就館には人間魚雷回天の他、涙なしで見られない。

靖国の鳥居
スポンサーリンク
 

はじめに

先の戦争に赴き、亡くなった英霊をお祭りする、靖国神社を参拝した。

ちょっとイメージと違ったのは、「日本建国以来、争って負けた側の人も全て、建国のために尽くした人」という考えで、敬意ををはらわれていることだった。

由緒

 1869年に東京招魂社として創建された。明治天皇の命により、国家のために一命を捧げた人たちの霊を慰め、その事績を後世に伝えるのが目的。1879年に靖国神社と改称された。

しおり

「我が国の 為を尽くせる人々の 名もむさし野に とむる玉かき」

明治天皇 御製

御祭神

 246万6千余柱の方々の神霊

身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊

大鳥居、第二鳥居、中門鳥居と順に進んで、靖国の桜を見て、拝殿に参拝する。

本殿前の鳥居

パンフレット 境内図

遊悠館

 9:00~16:30 大人800円 所要時間1~3時間

 有史以来の国の成り立ちを解説・展示している。勝者・敗者の両方共に国の建国のために貢献されたという、尊敬の念をもって説明されていることに感動した。

 更に進むと、第2次世界大戦に関係する遺品などを展示してある。手紙や、写真などが壁一面に貼られていた。

展示室を進むと、その写真の一人一人がどんなにか生きたかったか、語りかけてくるように感じ、その無念さが、胸に押し迫り、感極まって涙があふれ、顔がくしゃくしゃになり、人に見せられる顔でなくなって、とても前を向けなくなってしまった。

花嫁人形

花嫁人形が戦死者のお嫁さんとして飾られていた。テレビ番組の「たかじんのそこまで言って委員会」の中でも、政治評論家の故三宅久之先生が、平成25年頃に紹介されていたが、独身のまま亡くなった我が子を不憫に思うご両親の思いを想像すると、とてもいたたまれない。また、涙。

人間魚雷 回天

 太平洋戦争で大日本帝国海軍が開発した人間魚雷であり、日本軍初の特攻兵器である。全長14.7m、直径1m、最高速度55km/h、23kmの航続可能とある。ハッチは内部からは開閉可能ではあるが脱出装置は無く、一旦出撃すれば攻撃の成否にかかわらず乗員の命はなかった。

実物を見た印象は、「大きい。一人でこれに乗って、確実に死ぬ。ハッチを外から絞められ、出撃する時、どんなにか心ぼそく、悲しく、両親を恋しく思ったか。」

回天で出撃した百名余りの兵士が亡くなっているという。

筆者の父親は、昭和初めの生まれで、招集は受けていないが、親に内緒で特別志願し、「特別年少兵」として出征している。海軍に所属し、最後は、横須賀港から出撃した艦隊の護衛艦に乗務した。出港後間もなく敵機の攻撃により乗っていた艦が故障したので、横須賀へ引き返したところで、終戦を」

迎えた。先へ進んだ艦隊は全滅となった。目の前で何人もの戦友が亡くなるのを見た父が言うには、死んでいった者は皆、父・母を呼んでいたという。「とーちゃん! かーちゃん!」と。

「遊就館」名称の由来

 中国古典の「荀子」の中で、「君子は居るに必ず郷を擇び、遊ぶに必ず士に就く」とあることに由来し、命名された。

 

スポンサーリンク