高瀬神社(富山県)|大国主命が魂を置き出雲へ帰ったとは?

パンフレット
スポンサーリンク
 

越中一宮

御鎮座2千年の由緒ある神社。しかし、富山県は他府県とは違い、一宮と自称する神社がいくつもある。

時代ごとの政治情勢などによりいろいろあったということのよう。(加賀藩の影響を受けてる時と、そうでない時など。)他には、射水神社、雄神神社、気多大社(今の石川県)がある。

さざれ石

 本殿手前に安置されている。どこで採れたのか?

高志の八俣遠呂智

 日本書紀では、「八岐大蛇」と表記されているが、古事記では、「高志の八俣遠呂智」となっている。高志とは、北陸~山形の一部の地域を指し、高句麗一族が年に一度出雲に攻めに行ったという。となると、大いに北陸と出雲のつながりが濃いことになる。

高志と越の国

 「高志」とはあるが、「高志の国」とは書いてないし、越の国を指していないのではないかとする説があり、それが有力のようだ。越の国のことを指して、「高志」と呼ぶのが幾例もあれば別だが。結論は、現在の出雲市古志町のこととする主張に軍配を上げる。

大国主命が越の国に夜這い

大国主大神は、出雲の王となった後も、越の国まで遠征して夜這いをし、6柱の女神と結婚し、181柱の子供をもうけたという。精力的に日本海側の各地域に遠征し、同盟関係を築き、政略結婚することで、出雲勢力の拡大を図ったということだろうか。

高瀬神社神職の把笏

 古代に、笏を持つことを許されたのは、伊勢神宮と諸大社の神職のみに限定されていたということなので、どれだけすごいかがわかる。けど、本当?なんで?

越の国平定

 高瀬神社の社誌には、「昔、大己貴命が己命の守り神を此処に祀り置き、やがて此の地を平定され国が成ったので、最後に自分の魂を国魂神として鎮め置き、出雲へ帰る。」という記述がある。「この地を平定した。」というのは、何をどうしたのだろうか?農業技術を教え、鉄製農耕具の作り方を広め、銅鐸祭祀を指導したのか?

高瀬遺跡

神社の南に、平安時代初期の高瀬遺跡があり、須恵器・土師器が出土し、東大寺の荘園だったとされている。

スポンサーリンク