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概要
- 名 称 : 潮吹き穴
- 所 在 地 : 岩手県宮古市崎鍬ケ崎
- 内 容 : 最大30mの海水の吹上
- アクセス : 三陸道宮古ICから車で約10分
- 岩手県宮古市街から、R45を北へ車で約10分、
- そこから側へ右折し、浄土ヶ浜・休暇村陸中宮古の付近。
- 右折してから約15分で駐車場に到着。
- 5台分ほどのスペースだが、一杯なっていたことはない。
- 何回か行ったが、2台以上見たことはないので、
- 止められないという心配はいらない。
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名所概要
- 名所名称 : 根岸の大いちょう
- 所 在 地: 青森県上北郡おいらせ町字東下谷地9
- 内 容 : 推定樹齢千年の大イチョウ
大いちょう
- 八戸市から車で東通り村を目指し走行中、市街からさほど離れていないところに、「日本一の大銀」の看板が目に入り立ち寄ってみた。 続きを読む →
施設概要
- 施設名称 : 八尾市立歴史民俗資料館
- 住 所 : 大阪府八尾市千塚3-180-1
- 内 容 : 銅鐸工房、藍染め体験、木綿糸巻き体験、刀鍛冶
- 来訪時期 : 2009年の夏
八尾市の山手にある民俗資料館
- 子供の夏休みの課題作成のため何かないかなっと気軽に訪れた。 続きを読む →
施設概要
- 施設名称 : 伊小岩井農場
- 所 在 地: 岩手県岩手郡雫石町丸谷地36-1
- 敷地面積 : 3千ha(東京ドーム640個分)
- アクセス : 盛岡ICから約30分で到着、1回ぐらいしか曲がらずに
- 行ける。
- 規模、内容: 敷地面積3千ha(東京ドーム640個分)
- という広大な土地に乳牛の飼育、乳製品の製造、販売。 続きを読む →
施設概要
- 施設名称 : 日本中央の碑保存館
- 住 所 : 青森県北上郡東北町字家の下夕39-5
- 主な展示物: 「日本中央の碑」石碑
- 訪問時期 : 2017年
日本中央の碑記念館
「日本中央の碑」
- 以前、本で知っていたが、偶然に通りかかり大きな看板が目に入ったので、寄ってみた。知識が曖昧で場所をよく知らなかったので、まさか、「日本中央」がここまで北の果てとは知らなかった。
- 木造のこじんまりとした、新しく綺麗な建物。中に入ると、
- 建物のほぼ中央に、高さ約1.5mの石碑(吊るし柿を逆さにしたような形)が展示。
- その石の真ん中に確かに「日本中央」刻まれているのが見える。その周りにに、資料が並べられている。
「つぼのいしぶみ」
- 「9世紀初頭、征夷大将軍の坂上田村麻呂が蝦夷征討の際、弓の筈(はず)で石に『日本中央』と掘り、建立した。」というもの。それが都に伝わり、歌枕とされた。
- この石は、1949年6月に青森県東北町千曳で偶然に発見された。
- パンフレットや、展示資料には、「日本中央」の「日本」は、「ひのもと」と読み、蝦夷地を指す呼び名で、大和政権の力が増し、蝦夷征討軍が北進するにつれ、その地は徐々に北へ追いやられた、と記載されている。
- 陸奥の最奥の地、「都母(つも)」で発見された石碑の、地名の発音が「つぼ」に変化したのだろう、とされていた。
坂上田村麻呂は当地に来ていない
- またしかし、坂上田村麻呂は、現在の岩手県水沢付近までしか行っていないことがわかっており、もし、本物であても、坂上田村麻呂ではなく、次の征夷大将軍ではないかとのこと。
- それと、ケチをつけると、千年以上たっても風化がほとんのない程の硬い石に、矢で文字を掘ったというのは、無理があると思うが、どうでしょうか。
有識者による鑑定
- 昭和25年、新たに歴史家による鑑定が行われた。4文字の外側にうっすらと、もう一つ4文字の彫刻を見ることができるという。彫った文字が消えそうになるころに、再度文字を彫刻したとなると、最初に彫った時期は、どれほど古いのか。少なくとも1200年~1300年前のものであろうとのこと。
- また別の鑑定では、室町時代の頃の書体であるという。どっちがただしいのか?
多賀城碑
- 宮城県の多賀城跡にある「多賀城碑」も、「つぼのいしぶみ」と言われている。これは、松尾芭蕉が多賀城跡を訪れており、つぼのいしぶみであるとして、奥の細道で紹介したことによる。
- 国道に面して、看板がすぐ目に入る。駐車場は広く無料、入館料も無料。