【 もくじ 】
神社概要
- 神社名称 : 鹿島神宮
- 所 在 地: 茨城県鹿嶋市宮中
- 御 祭 神: 武甕槌(タケミカヅチ)大神
- 創 建 : 神武天皇の御代
- アクセス : JR鹿島線「鹿島神宮駅」から徒歩約10分
- 駐 車 場: 鳥居の近くで、300円/日、周辺は500円/日
- 境内面積 : 約70ha
御由緒
- 武甕槌大神は出雲で国譲り交渉を成功させ、建御名方神との力比べに勝利し、東国開拓に尽力された。
- 神武天皇が東征の際に窮地に陥った時、大神の「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」の神威により救われた。
- 神武天皇が即位した際に、大神の神威に感謝して、鹿嶋の地に大神をお祀りされた。
なぜ茨城に創建されたのか
「鹿嶋市HP参照」
- 大和地方を拠点としていた大和朝廷は4〜5世紀に東国へ進出し、更に海路と陸路で東北地方へ進出していった。802年に坂上田村麻呂が蝦夷制圧するまで144年間に渡り、朝廷は東北へ軍隊を派遣した。鹿島神宮はその拠点となっていた。
- 鹿島神宮は武甕槌大神を祭神とする「天の大神の社」と地元の神様「坂戸神社」「沼尾神社」で構成されている。
- 鹿島神宮の宝物館には、「悪事王の首」と言われる木製の首が展示されている。これは「アテルイ」のことだと言われている。
韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)
- 神武東征の際に全軍壊滅の危機状況にある時、天照大神は武甕槌大神を遣わそうとしたが、武甕槌大神は「自分でなくても、フツノミタマノツルギを天から降ろせば良い。」と言い、その神剣の不思議な力により無事東征を果たした。
- 神武天皇が即位後、鹿島の地に鹿島神宮を勅祭したとのこと。
- 神話の上では、神武天皇から奈良の石上神宮に祀られたとなっているので、現在の解釈では二代目の韴霊剣とされている。
鳥居
- 一の鳥居:北浦湖湖畔に配置され、昔は船で鳥居をくぐり参拝した。
- 大鳥居:樹齢500年の柱材が使用され、堂々としている。

桜門
- 日本三大桜門:阿蘇神社、筥崎宮とともに三大桜門に数えられる。
- 令和8年4月は改装工事中でその姿は見れなかった。
御神木
- 桜門をくぐり本殿へ
- 本殿奥にそびえる御神木

拝殿・本殿



樹叢(じゅそう)
- 鹿島神宮樹叢は、約800種の植物が生育している常緑照葉樹林。
- この説明看板から先が指定地域。

奥参道
- この先は石畳がなくなり地道になる。
- ここから雰囲気・空気感がガラリと変わる。

- 雨上がりで所々水道があったが、粘土地盤の割には水捌けが良さそう。
- この辺りは「鹿島台地」という、海抜30m〜50mの洪積台地。
- 砂混じりの粘土層で締まりの良い地盤。


鹿園(ろくえん)

- 奥参道にはいて程なく左にある鹿園には鹿が飼育されている。
- タケノミカヅチノ神の元へ使いとして来た神が、アメノカグノ神で鹿の神だった。
- 奈良時代に藤原一族が奈良に春日神社を創建した時、鹿島神宮の分霊を鹿の背に乗せ、1年かけて奈良に運んだと言われている。

奥宮
- 御祭神・・・武甕槌大神荒御魂


- 出雲大社と同じように、お社の周りをぐるりと回れるようになっている。
要石(かなめいし)


- かの有名な、ナマズを封じている石
- 水戸光圀が石の周りを掘削させたが、7日間昼夜かけても掘りきれず、ケガ人が出たため諦めたという。

- 要石の真ん中は凹んでいる。
- 香取神社の要石の真ん中部分は、凸型となっている。

芭蕉句碑


仮殿
- 本殿の斜向かいにある仮殿は神々しさがある。
- 縄張りで結界されていた。

おわりに
- 奥宮のエリヤの「重厚な雰囲気」はアテルイの強い想いか。
- 独特な「重厚感」は岡山県吉備津神社に似ている。
- 鬼退治伝説の「温羅」のように征服されつつも、その名を残し、今もその御神徳を施されているが、何となく似たものを感じたが。
- 布都御魂(フツノミタマ)は、素盞嗚尊(フツシ)の父親だとする説もあるが、、。
- 奈良の石上神宮に韴霊剣が収められているという。石上神宮の御祭神は布都御魂大神、布留御魂大神、布都斯御魂大神で、祭神の名前とも一致する、素盞嗚尊の父親の名前である。
- 岡山県の石上布都御魂神社では、「素盞嗚尊が八岐大蛇を切った剣を奉納した後に、奈良の石上神宮へ移された」と言われている。
