【 もくじ 】
遺跡概要
- 遺跡名称:楯築遺跡(神社跡)(王墓の丘史跡公園)
- 住 所:岡山県倉敷市矢部向山
- 御祭神 :片岡多計留命(デジタル岡山大百科より)
- 創 建:墳丘墓は弥生時代後期
- 駐車場 :王墓の丘史跡公園入口の手前に数台可能
ブラタモリで紹介、旋帯文石
- 2019年11月にNHK「ブラタモリ」で、吉備津神社や楯築神社跡などが紹介された。
- 私も丁度見ていたのに、突然の睡魔により意識不明に陥り見ずじまい。
- 御夫婦とお見受けする方が、「ブラタモリ」を見たので来てみたと言われてた。旋帯文石をスルーされていたので、思い切ってお声掛けして、説明したら、とても喜ばれた。調べた上で探してもわかりにくい。
- もう一組、若いカップルが駐車場で、納得できずにスマホで検索している様子だったが、まさか窓を叩いて教えるのはどうかと思い、断念したが、きっとわからなかったのだと思う。
墳丘墓の被葬者は帥升か
- この被葬者は後漢書東夷伝に登場する帥升とする学説がある。
- AD107年後漢に朝貢した、倭国王帥升が活躍した死亡した年代と、墳丘墓の築造年代が一致する。
- 弥生時代末期にその後古墳時代へと移行するが、その当時としては、最大規模の墳丘墓である。
- また帥升については、「帥」という文字は、音偏に巾と書いて、「フツ」とも読むので、これはスサノオの父のフツを指しているとの説もある。
造山古墳ビジターセンターでは「倭国王の墓」と明記
- 「楯築墳丘墓」は弥生時代最大規模の墓であり、倭国王帥升の墓であると書いてあった。
神社跡の巨石
- 説明看板から少し上ると、右は古墳群、左手に進めば水槽が見える。
- そこの右手が収蔵庫と、更に進めば、神社跡がある。


