【 もくじ 】
アプローチ
正式には熊野神社。登り口からここまで、車なら5分もかからず来られるが、徒歩で階段を通れば足の強い人で30分、休み休み登れば1時間はかかりそう。
上の写真は、登り口から見上げたところ。下の写真は、階段の一番上から見下ろした様子。はるか向こう、かすかに道路が見える。
実は、この神社のことは全く知らずに、ただ北上から遠野へ抜けて車で移動中だったが、道路脇に並ぶ御神灯の数の多さに惹かれて、つい、立ち寄ってみた。
ひっそりとした割には、掃除などきれいに手が行き届き、スッキリとして気持ち良い。明るく清々しい雰囲気は、太陽神を祀る神社に似たものを感じたが、祭神はそうではなかった。しかし、和歌山の熊野三山を勧請したのであれば、元は太陽神という説もあり、全くハズレでもないかな?
由緒
坂上田村麻呂が蝦夷征抜に際してこの地に熊野三山の神を勧請して創建した。
十二番角力式(すもうしき)泣き相撲
入口から、「矢印」の表示があり、順路が示されている。その通り、右へ進むと、十二番角力式(すもうしき)泣き相撲の土俵がある。ここは、まさにテレビで見る、あの泣き相撲の神社であった。
今は亡き千代の富士(九重親方)の偉業が記されている。
毘沙門天天立像
更に進むと、今度は、毘沙門堂が現れる。毘沙門天立像は現在、その上の蔵に保存されており500円で、拝観できる。撮影禁止。
中央の毘沙門天立像は、高さ4.7m。下で支える地天像を含めると5mを超す、ケヤキの1本彫りで大迫力である。これは、天邪鬼ではなく人が神を支えていることを表しているとのこと。向かって左の吉祥天立像と共に、国宝に指定されている。
左右の、吉祥天・阿弥陀如来は、顔は面長、全身は細身ですらっとしており、目を閉じている。それに対比し、中央の毘沙門天は、真上からこちらを大きな目で睨みつけ、調伏するぞ!、はむかうな!と、その眼力で威圧してくる。
通常踏みつけてられている天邪鬼は、左右におとなしくしている。
毘沙門堂横にある狛犬(石の置物)は、台座を含めて、古くてぼろぼろで、どれだけ古いのかと思わせる。(写真撮るのを忘れた)
参道途中の「毘沙門山」解説。源義家が前九年の役で阿部貞任を追撃した際に、鏑矢を奉納して戦勝を祈願し、奥羽平定を叶えたとある。
住 所 | 岩手県花巻東和町北成島5区1
三熊野神社 正式には、熊野神社 |
御 祭 神 | 伊弉冉命
事解男命 速玉男命 |
創 建 | 802年 |
参拝時期 | 2017年 7月 |