大神神社(奈良県)|三輪山が御神体、日本最古の神社

パンフ
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神社概要

  • 神社名称 : 大神神社
  • 所 在 地: 奈良県桜井市三輪1422
  • 御 祭 神: 大物主大神
  • 創  建 : 不詳

最古の神社

  • 古来三輪山全体をご神体として信仰されてきた。
  • そのため本殿を設けず奥にある三ツ鳥居を通してお山を拝するという、上代の信仰の形をそのまま今に伝えている、最古の神社と言われている。

三輪山

  • 標高467m、周囲16kmで神奈備山、三諸山などと呼ばれ、この三輪の地は古く大和の文化発祥の地で、政治・経済・文化の中心地でもあった。
  • 三輪山麓を東西に流れる初瀬川の水路の終点に、日本最古の市場である海石榴市(つばいち)があり南北には日本最古の産業道路である山の辺の道が開かれていた。

パンフレット 三輪山

しおり

御祭神

  •  大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
  •  大己貴神(おおなむちのかみ)
  •  少彦名神(すくなひこなのかみ)
  •  昔、大己貴神(大国主神)が自らの幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)(和魂)を三輪山に鎮められ、大物主(倭大物主櫛𤭖玉命)(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)の名前でお祀りされたのが始まり。

神語

  • 大国主命が伝えられた言葉とされている。

幸みたま 奇みたま 守り給ひ 幸はえ給へ

 

大物主とはニギハヤヒ?

  • 大物主とは饒速日命(天照国照彦火明櫛玉饒速日命)であるとする説もある。
  • 確かに櫛𤭖玉と櫛玉は似ているし自分の魂(光)が海から出てきて「自分自身を山に鎮めよ」と言ったというのは腑に落ちない。
  • 饒速日命が大和朝廷成立以前に大王として君臨していたことを、うやむやにする策だったかもしれない。

三ツ鳥居

  • 三ツ鳥居は拝殿の奥にあり、この先は禁足地とされてきた。この鳥居は、「三輪鳥居」とも呼ばれ、大神神社の特色の一つであり古来、「一社の神秘なり」とされている。成立過程は不詳。

 

パンフレット

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狭井神社

  • 大己貴神の荒魂をお祀りしている。力強い御神威から、病気平癒の神とされる。三輪山登拝は、ここでの受付が必要。

久延彦神社(くえひこじんじゃ)

  • 「古事記」にの中の事をことごとく知っている知恵の神と記されている。
  • 受験合格・学業向上・入試合格のご祈祷や「願掛絵馬」がある。

檜原神社(元伊勢・倭笠縫邑)

  • (やまとかさぬいのむら)檜原の地は、第十代崇神天皇の御代、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が、天照大御神を初めてお祀りされた倭笠縫邑である。
  • 初めてお祀りされた天照大御神とは、伊勢の神?それが何故三輪なのか?ちなみに、饒速日命が、太陽神であったとされる説もあるが、古来、絶大な信仰を集めた三諸山の天照国照彦火明櫛玉饒速日命から、御名と、太陽神としての神格を奪い取ったのかもしれない。

檜原神社パンフ

 

  • 三輪山麓を大神神社から、狭井神社、檜原神社へと歩いて感じる雰囲気は、神聖さ、スケールの大きさや重々しさ、暖かさに加えて、何か陰気なマイナス的なものも同時に感じる。大和朝廷に敗れた人たちの思いか?

なでうさぎ

  • なでると体の痛みを取ってくれると信じられている。正月の間は、祈祷殿前に置かれている。

神武東征

  • 饒速日命が河内を納めていた時、神武東征の際、抵抗せずあっさりと渡したとされる。

「えみしをひたり ももなひと ひとはいへども たむかいもせず」

  • 現代語訳:蝦夷を100人力で強いと人は言うけれど、何の抵抗せず負けてしまった。
  • という歌があるが、神武東征の際に蝦夷が屈した様子を詠んだもの。

饒速日の命

  • 饒速日は早々に神武に恭順したが、ナガスネヒコは従わず、殺されたことになってはいる。しかし実は東北へ逃れ、東北の阿部氏になったとの言い伝えもある。宮城県の塩竃神社には、ナガスネヒコが塩造りを広めたという話が残っている
  • 饒速日が神武に従った話にしても、抵抗勢力の勢いをそぐために話を作ったとしてもおかしくない。最後まで抵抗し討ち果てたとは言わないようにしたのかも。

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