【 もくじ 】
概要
- 今から約2,200年前の紀元前3世紀頃に流量調整のために築造された施設遺構(現在も機能している)。
- 長江(Yangtze River)は、上海、武漢、三峡、重慶をさかのぼり河口から直線距離で約1,600kmの地点に位置する一平市(Ybin)で左支流の岷江と本流の金紗江に分かれ、都江堰は、岷江扇状地の最上流部に設けられている。
- 岩山を人力で掘削したり、河床を掘削して流域断面を確保し、流量調整を行う。李冰(リヒョウ)親子2代8年を費やし完成させた。
入口
- 入口から中に入ると、遠めに河川の様子が一望できる。
- 四川盆地を流れる岷江は、軍事水でもあり完全に堰き止めてのダム建設はできなかったので、川を本流と支流い分け水量を調節する計画とした。
桟橋
- たくさんの人が訪れて、数珠つなぎになって川を渡る。費用に良く揺れて、怖いやら、気分が悪いやら。
竹組の蛇篭
- 岷江の河床を掘り下げて河床を低くし、その掘削土砂を中央部に盛土し人口の中州を築造した。その周りを蛇篭で保護。
- 竹を番線に変えれば、現在も日本で使用されている蛇篭とほぼ同じであり、中国の技術が日本に持ち込まれたことがわかる。
- 岩山を掘削し流路断面を確保して流れを変えている。当時火薬を使わずに岩を掘削するには、岩を火で温めた後水で冷やし、その温度差で岩に亀裂を入れて少しづつ掘削したという。
- 普段は河床を深くした左の岷江(内江)に流れるようにし、流域の水がもたらされるようにして水量が増えると右の外江へも流れるようにした。
- 更に水位が増すと外江から再度内江へもどる仕組みになっている。
二王廟
- 都江堰を出て左に何やら重厚な(ちょっと暗い)建物が。これは、都江堰を築造した親子をお祀りした寺院。
最後に
- この2,200年前の利水施設の恩恵を受け、成都平原は豊かな農業地帯として発展した。
- 一方で成都市(チェンドゥー)からバスで上流を目指し、8時間ほどバス移動した際に見えた風景では、森・林・木という木が全く見えなかった。畑作も見当たらずただのぼた山が続くだけ。2,000年も作物を取り続けると土地がやせてしまうのか?わからない。
四川大地震
- この翌年5月12日に四川大地震が発生し都江堰が大打撃を受けた。