【 もくじ 】
概要
- 名 称 : 小田原城(別名、小峯城または小早川城)
- 住 所 : 神奈川県小田原市城内6‐1
- 築城時期 : 1417年
- 築 城 主: 大森頼春
- 主な城主 : 後北条氏
- 駐 車 場: 周辺の有料駐車場を利用
アプローチ
- 雨上がりの秋晴れの中、9時開館前に天守閣入口まで散策。
- 駅前から約500m、徒歩で10分少々、正面入り口の馬出門から入る。
馬出門

住吉橋
- 次に住吉橋

銅門(あかがねもん)
- 住吉橋を渡り、銅門(あかがねもん)へ。

- 銅門の左側は、車椅子用のバリアフリー通路が設けてある。
- 門の手前は狭く絞られており、大勢の敵が攻めた時に、容易に通過できない。門の向こうは十分な広さがあり、迎え撃つ軍勢が十分な体制がとれるようになっている。
- 銅門広場、二ノ丸跡を過ぎ、右手に歴史見聞館を見て、常盤木門へ。
常盤木門

- 常盤木門を抜けた所。大勢の人や物を門の上の部屋に運ぶように、スロープが設けてある。この手間のにも十分なスペースがある。
天守閣
- これから先は天守閣へ。中世の城郭としては日本最大という規模を誇るという。これだけの守りの硬さに、豊臣秀吉の大軍をもってしても落城はしていない。(降伏はしたが、城は落ちていない。)

総構
- 延長9kmに及ぶ総構(そうがまえ):現存の城跡は、本丸・二ノ丸の大部分と総構の一部だが、後北条氏(小田原北条市)が秀吉の攻めに備えて、総延長9kmに及ぶ水堀や空堀・土塁を完成させた。
後北条氏
- 後北条氏は、伊豆出身の豪族で、戦国時代の北条氏とは別。(知らなかった。北条と言えば、源頼朝と妻の北条政子の方しか知らなかった。)
- 桓武平氏の流れをくむ伊勢氏であり、由緒ある家柄であったが、関東勢から外来の者と反感を買うのを恐れて、北条(鎌倉)を名乗ったものらしい。
北条氏政・氏照の墓
- JR小田原駅前の商店街から、狭い路地「おしゃれ横丁」へ入る。
- 入口の壁に小さな表示。
- 道なりに進むと1~2分で墓所に。
- こじんまりとしているが、新しい花が手向けられ、綺麗に管理されており、地元の方がずっと供養されていることがわかる。
幸せの鈴
- 秀吉攻めの際、民への危害が及ばないようにと配慮した、氏政・氏照を慕う人たちの感謝の気持ちが込められている。