【 もくじ 】
遺跡概要
- 遺跡名称 : 崎山貝塚、縄文の森ミュージアム
- 住 所 : 岩手県宮古市崎山第1地割16番地1
- 築造年代 : 約6千年前(縄文前期)~約3千5百年前(縄文後期)
- 入 場 料: 般200円、大学生150円、高校生以下無料
- 駐 車 場: 有、無料
- 展示内容 : 地質年代や、当時の気候・暮らしなど
崎山貝塚
- 3回目の訪問でやっと中拝観できた。HPに休館の予定がちゃんと公開されているのでご注意ください。調べなかった私が悪い。
- 「縄文の遺跡は、鏡や剣などの派手なものがなく、矢じりや、食べかすなどの、ごみ程度のものしかないので面白くない。」などと言う人がいるけれど、実際に行けばわかるが、そこの研究成果が直に見られ、そこにしかないものが思いの外素晴らしかったり、行ってみて初めて分かる発見もあってとても興味深い。
崎山貝塚縄文ミュージアム
- 崎山貝塚遺跡に隣接した、「崎山貝塚縄文ミュージアム」には、詳しい資料が展示されている。
- 崎山貝塚は、約6千年前(縄文前期)~約3千5百年前(縄文後期)の約2千5百年の間、豊かな海と森に恵みに支えられ集落が営まれていた。
- ここでは、北海道の伊達市北黄金貝塚で出土した銛頭(もりがしら:鹿の角で作った)と同じもの、また、宮古以南の陸前高田市中沢浜貝塚から出土の「し」形釣り針と同じものが出ている。これで、北方の骨角器文化と南方の骨角器文化の接点であったと、書いてあった。
- これは、文化の接点というよりも、寒流と暖流の接点で、とれる魚をそれに合う道具を駆使して漁をした。そして、人の交流があったということか。
環状溝(かんじょうみぞ)
- 中央広場の周りに、深さ1m、幅20mの溝を掘った。ここ以外には例がないとのことで、異文化の人だったのか、ここの地形や地質、または気象条件がそうさせたのかは不明。
食べ物
- クジラ、オットセイ、マグロ、イワシ、ウニ、アワビ、カキ、鹿、猪、ウサギ、キジ、栗、クルミ、どんぐり、きのこなど(高級食材が多い)
装飾具
- ヘアピン(鹿角製)、くし(鹿角製)、ペンダント類(サメの歯のペンダントなど)、貝玉、貝輪(ペンケイ貝の腕輪)、耳飾り(鹿角製や石製)、アンクレット(足首の飾り)
立石
- 台地の中央に高さ約1mの石が立っている。石の各面が東西南北を向いており、当時の人々にとって特別の意味があったと考えられている。
- これが当時のままの状態。(当時はもっと角がたつなど、威厳もあったか)
北貝塚の断面図
- 元の地形の上に火山灰層があり、その上に貝塚が形成されている。その噴火は、十和田噴火である。(職員の方から聞いた)
その他質問したこと(職員の方が丁寧に教えてくださった)
黒曜石
- 一般に鉱物は産地が特定できるが、土器(土)はその成分から産地を特定することはできない。これは平成十年頃、いろんな遺跡調査の発表が相次いだ時期に、「縄文土器が南太平洋に島で発見された。海上を航海し交流していた証拠である。」と、新聞で報道されていたが、その後そんな話を見聞きしなくなったので、尋ねてみた。すると、「どこでとれた土か特定できないので、本当に縄文土器なのか、それを模して向こうで作られた可能性もあり、それ以上、何かの証拠になりえない。」とのこと。(研究者の発言はシャープで、納得させられる)
- 三内丸山遺跡が終わってからも、その周辺の集落には続いているところもある。集落の終わりの理由として、寒冷化をあげられるが、それだけとは言い切れない。
- 各遺跡から出土する釣り針などの道具を見比べると、それぞれ出来栄えに違いがみられる。針は自前で作った。そこにいた人、一人ひとりの能力の差が、道具や狩猟方法に差が生まれ、ひいては、狩猟・漁獲高に影響を及ぼす。
- これは、つまり食べるものが確保できる集団と、そうでない集団に差が出るということ。気候条件が良いときは、植物も動物も魚も取れやすいが、環境が悪くなった時に、能力が低い集団は生き残れない、ということ。(これも、職員の方から聞いた情報)