【 もくじ 】
歴史年代
- 57年 後漢へ朝貢し、光武帝から金印「漢委奴国王」を授かる。
- 2世紀後半 倭国大乱
- 229年 魏がクシャーナ朝に「親魏大月氏王」の金印を贈る。
- 237年 呉より「赤烏元年」の銘の銅鏡を授かる。
- (山梨県、鳥居原狐塚古墳)
- 239年 卑弥呼が魏へ朝貢し、「親魏倭王」の称号と金印を授かる。
- 244年 呉より、「赤烏7年」の銘の銅鏡を授かる。
- (兵庫県宝塚市、安倉高塚古墳)
- 248年 卑弥呼死去、台与を女王とする。
- 266年 魏が滅亡し晋が起こる。
- 266年 台与が使者を西晋へ朝貢。
- 271年 垂仁天皇即位
- 300年 匈奴が中国へ進入
- 366年 倭が百済と同盟を結ぶ
- 367年 半島へ出兵
- 390年 神功皇后没
- 390年 応神天皇即位
金印を授かる
- 卑弥呼が魏へ朝貢し「親魏倭王」の称号と金印を授かっている。魏は、大月氏に対しても、金印「親魏大月氏王」を贈っている。つまり、敵対していた呉を牽制する目的で呉の西と東に位置する両国と友好関係を結んだ。
- 邪馬台国の卑弥呼は、本来倭国とは、呉(春秋時代)の国から渡ってきた人たちの集団であり、呉(三国時代)と親密にすべきところだろうが、三国の力関係や情勢をよく見て、苦渋の決断をしたことだろう。
- 呉は、この前後にすかさず、対置式神獣鏡を「赤鳥元年」と「赤鳥7年」に倭国に送っている。送り先は、邪馬台国と対立していた「狗奴国」だろうか?
東征の理由
仮説1.火山活動により、住めなくなった
- 大分市の鶴見岳・伽藍岳が1,800年前ごろに噴火している。九州一帯の火山活動が同様に活発になっていることから、生活の基盤を失った地域があったものと思われる。
仮説2.森林伐採が進み、土地が痩せてはげ山状態になった
- 竹村公太郎氏の「地形と日本文明」という講演を拝聴した際に紹介された内容によれば、記念構造物築造のための伐採を続けていると、はげ山化し土地が痩せ、作物も取れなくなる。九州はそういう状況にあったと。
- その点、奈良盆地の湖の周りに豊富な森林があり豊かであったので、塩土老翁(しおつつのおじ)が「良き土地」といって進めた。
仮説3.卑弥呼が亡くなった後の不安定な状況から
- 倭国大乱の後卑弥呼が女帝となり治まったが、卑弥呼が無くなるとまたしても不安定となった。
- 小国同士で混沌とした中で磐余彦が東征を果たし、先行して納めていた饒速日の功績を利用して、大和進出を果たした。
東征の時期
- 日本書紀では建国時期は中国と同等に古いこととしたかったのでBC660年とした。すると天照大神はもっと古くなり、いろいろ矛盾が出てくるので曖昧な表現にとどめたのではないか。
塩土老翁(しおつつのおじ)
- 万葉集では「墨吉(すみのえ)の人」とされ、住吉明神として大阪府の住吉大社で祭られている。そのお顔は玉手箱を開けた老翁にそっくりとも、、、。
- ちなみに、乙姫は瀬織津姫であり饒速日命の妻とされ、三島明神(現大山積神)である。
- また饒速日命は天照大神と同一とする説もある。(ちょっと意味が深そうだが、説明できないので、さらりと流します)
神功皇后
- 神功皇后は仲哀天皇の皇后という実在の方ではあるが、熊襲征伐や朝鮮遠征を身重の時期に大勝利させるなど超人的な功績を上げていることから、その功績は架空ではなかとも言われている。