【 もくじ 】
神社概要
- 神社名称 : 熊野本宮大社
- 住 所 : 和歌山県田辺市本宮町本宮1100
- 御 祭 神: 家都美御子大神
- 創 建 : 前34年
はじめに
- 多くの参詣者が集まる、伊勢神宮に勝るとも劣らぬ聖地である。
- 熊野坐大神は、唐の天台山から飛来した。
八咫の烏 のぼり
- 入口鳥居の横には、シンボルである「八咫のカラス」火の鳥の大きなのぼりが出迎えてくれる。八咫のカラスは、神の使いである大きな黒い鳥、つまり、太陽を背にして飛んだ鳥の影をカラスと言ったという説もある。
- 出雲の熊野大社では、こののぼりは無い。というか、ここでしか見たことがない。
- 参道には、船が目に付く。山の中でなぜ船なのかと疑問に思ったが、木の国であり、木造船の材料を切り出し、この地域で、船を作っていたということなのようである。
御祈祷が独特、他には無い!
- 平成10年頃に参拝し、御祈祷をお願いした。祝詞が独特で、シャーマン性が残っているという。実際に正にその通り。宮司さんがお一人で、太鼓を強く連打しながら、祝詞を奏上し、「天津祝詞の太祝詞事を祝れ!」と、と強く叫んだ後、乱れ打つ太鼓で完全に声をかき消され、「太祝詞ごと」は聞こえなかった。願い事は特になかったので、「神恩感謝」をお願いしたところ、祝詞の中で、「神恩感謝、ただそれのみをこい願い奉る~!」と叫ばれた。異種独特。ど迫力。他では見れない特別なものだった。
三体月
- 御祈祷を御願いしているところに、額に飾った「三つの月」があった。言い伝えによると、大斎原の一位の木に、三つの月が降臨した。不思議に思い尋ねると、真ん中が答え、「自分はスサノオ、両側は、フサミ、速玉之男大神である、斎祭れ。」そう答えた。今でも信者による月の鑑賞会がある。
上四社 第一殿
- 熊野牟須美神(くまのむすみのおおかみ) 日本書紀では熊野市有馬の花窟神社が伊邪那美大神の御墓とされている。
- 第一殿相殿
事解之男神(ことさかのおおかみ) イザナギの尊が黄泉国で、約束事をしたときに発した言葉の中から生まれた神。
第二殿
速玉之男神(はやたまのおのかみ) 唾を吐きあう儀式の中から生まれたとされている。
第二殿相殿
伊邪那岐大神
第三殿
家津御子大神(けつみこのおおかみ)主祭神、素戔嗚尊。熊野奇霊御木野命(くまのくしみけぬのみこと)と、同意とある。木の神と称えられ、紀ノ國の名の起こりとなった。
第四殿
天照皇大神 伊邪那岐の尊が黄泉の国に伊邪那美に会いに来た後、左目を洗った時、生まれた女神。
熊野大神を斎きまつったのは、熊野連、尾張連であるが、この氏族は饒速日命の子、高倉下の子孫である。(冒頭に示した「栞」にこのように書いてあった。)
大斎原(おおゆのはら)
- 太古より、大斎原(おおゆのはら)にあった社地は、明治22年の大洪水の災害を受け、現在地に移転された。上の写真は、元の場所にある大鳥居と、神社跡。
- パワースポットが好きな方々が多く散策されている。広いところにそびえ立っているので、とにかく、大きい。
- 鳥居の真ん中に八咫のカラスの印がある。下から見ているが、実物はさぞ、大きいのだと思う。
- 洪水によって、現在地移転したことが伝えられている。
御神徳
- 舟玉大神・・・木の国で植林による建築資材から、造船技術、海外交易へと発展した。
- 誓約(ちかい)の神・・・天照大神と天安河を挟み誓約をされ、正邪を正すとして崇められ、後世、烏文字を用いた熊野牛王神符が誓約ごとに多く用いられた。
- 本宮や新宮、その他で、祭神の名前やその名前が誰を指しているのかの解釈に少しづつ違いがあり、ややこしいが、あえて必要以上に突き詰めたりせずに、「神恩感謝」の気持ちで、参拝するのが健康的でいいと思う。(私は、そこに深くのめりこんだ時期がある。しかし、神様の由来は遙か昔の話であり、記録も記憶もなく、また途中で祭神が入れ替わったり仕手いる場合もあったりして、結局は真実に迫ることは難しいと、納得するまで、長くかかった。)
- 太鼓を連打する祝詞は、ここでしか見られないと思う。