霊山神社(福島県)|会津の西郷頼母がかつて神職を務めた

境内
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神社概要

  • 神社名称 : 霊山神社
  • 所 在 地: 福島県伊達市霊山町大石字古屋舘1
  • 御 祭 神: 北畠顕家公、北畠親房公、北畠顕信公、北畠守親公
  • 創  建 : 1881年(明治41年)
  • アクセス : 道の駅 「りょうぜん」から車で約15分、山に向かって進む。神社付近はお寺や集落がある。北畠氏の拠点ということで一族関係者が暮らしたところなのか。冒頭の写真は手水舎の先にある門。
社名を彫った石柱
社名を彫った石柱
  • 神社前には一の鳥居の左に大きな石柱がある。
鳥居
鳥居
  • 鳥居の先の広場は駐車場となっている。そこから山道を登るが冬場に道路が凍結した際には歩いて登るように看板が出ていた。歩くと30分以上はかかるかな。
  • 北畠顕家公の立派な像。
北畠顕家の像
北畠顕家の像

 

由緒書き看板

本殿

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境内

  • 拝殿とその向こうには本殿がある。意外と大きくて30人程度はゆうに入れそうだった。
  • 車で道路を登ったがかなりの高低差があり歩くとなるとかなりきつい。しかし境内は意外に広々としている。
  • 社務所の他にも立派な建物があり、有名な剣の舞(濫觴武楽らんじょうぶがを奉納するときなどには多くの人が集まるのだろう。

濫觴武楽

  • 北畠顕家が陸奥国府を開くため義良親王を奉じ、多賀城から霊山城に入場した際に一族郎党の家運隆盛、武運長久を祈って奉納された「剣の舞」である。
  • 現在は、春の例大祭に奉納される。

南北朝時代

  • 南北朝時代に北畠顕家公は、南朝に従い北朝方と激闘の末1347年に敗れた。
  • 1817年に松平定信がこの地に霊山碑を建てた。
  • 1876年明治天皇の東北巡行を機に北畠氏の英霊をお祀りする霊山神社が創建された。

貫通石

  • 拝殿左に「貫通石」があった。
  • 復興道路新設のトンネル工事での貫通の際に採取される「岩石」である。
  • 復興と安全を願って。

貫通石

 

階段の上から下を見下ろした

  • 徒歩ルートの階段の上から見下ろしたところ。この写真ではとんでもない急こう配に見える。実際にもやはりなかなかの勾配だった。
  • 道の駅にあったパンフレットでは、こちらは紅葉の頃がとても美しいそうでその頃にまた行ってみたい。

霊山

  • この近くに霊山登山口がある。頂上付近には天台宗の修行道場としての伽藍がかつてはあった。(今はない。)

西郷頼母

  • 元会津藩筆頭家老であった西郷頼母が神社の神職を勤め、親族の西郷四郎を養子にして育て柔術を教えた。後に上京し、講道館で柔道に励んだと言う。小説、「姿三四郎」のモデルとなった人物という。

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