【 もくじ 】
神社概要
- 神社名称 : 住吉大社
- 所 在 地: 大阪府大阪市住吉区住吉2‐9‐89
- 御 祭 神: 底筒男命、中筒男命,表筒男命、神功皇后
- 創 建 : 212年
- 駐 車 場: 南駐車場、有料
由来
- 古事記・日本書紀には伊弉諾尊が伊邪那美の命を追って黄泉の国へ行った帰りに、その穢れを払うために禊祓いをされた時に海中より生まれた。
- 底筒男命、中筒男命、表筒男命の神々。
境内
- 第一本宮:底筒男命
- 第二本宮:中筒男命
- 第三本宮:表筒男命
- 第四本宮:神功皇后
- この日は、6月の梅雨模様だったが、その中でも清々しい雰囲気に包まれていた。久しぶりに参拝させて頂きました。
- コロナ禍の中、大らかな感じでした。
神功皇后の新羅遠征
- 神功皇后が「新羅遠征」の時住吉大神の御神託により勝利を収めたとある。
- 住吉大社は神功皇后が生きているうちに神として祭られたということ。住吉大神はすでに神様だったので生きていない。
- 新羅遠征の元来の理由は熊襲征伐にあった。仲哀天皇の御代に熊襲は朝鮮の新羅と手を結び勢力が盛んであったが、神功皇后が熊襲を平定し新羅をも攻め大勝利した。
神功皇后は倭国の女帝?
- この「新羅遠征」と「白村江の戦い」を混同していたが、新羅遠征は紀元後200年、白村江の戦いは663年であり全く時期が違う。となると神功皇后は倭国の女帝ということ。
- しかもここから遠征しているということは、邪馬台国は畿内にあったということ?
邪馬台国は畿内にあったことを隠した?
- 古事記・日本書紀には邪馬台国の記述がない。倭が九州から近畿に移動したことは間違いないが時期がはっきりいない。
- 白村江で大敗し漢と間接的に敵対することとなり、北九州に軍隊が駐留されてしまった。本格的に敵視されないように大化の改新を行い、「倭国」とは別の「日本」を認めさせることに成功した。
- となると、後から日本成立を文書にした古事記・日本書紀では「倭国が既に畿内にあり大和朝廷に移行していたのでは都合が悪く、神武が東征し倭国とは別の日本国を作ったことにした。」ということなら、つじつまが合うが。
我論が暴走しましたが、いかがでしょうか?