遠見塚古墳
仙台市若林区の国道4号線に隣接した古墳。造営年代は、4世紀末から5世紀初め。墳丘長さ110m、高さ6.5m。周囲に池は無く、国道から通りすがり見ると、公園の小山と言われても違和感がないくらいにこじんまりとした規模。
古墳の周囲には、幅10数mから40数mの不規則な形の周湟がある。
葺石や埴輪などはなく、祭祀に使用する、土師器・須恵器が見つかっている。その他の副葬品としては、小玉4、管玉1。弥生時代から7世紀頃まで祭祀が行わていた。
墳墓2基(粘土槨)の中に、割竹形木が納められている。古くからの湿地帯であり、排水のために、灌漑用の水路が設置されている。
大和政権とのつながり
造成年代から見ても、大和政権の影響力がまだまだ強くなかった頃であり、それを推し進める使命を持ったこの墓の主は、畿内の古墳造営と比べれば、それほどの権力を示せなかったようだ。
強大な力を示すようなものを作ろうとして、労働を強いると逆に、反発を募らせることになるであろうし、苦労したのではないか。
周囲の地形から見ると、低湿地の中で、排水路を掘削し、設置した残土を集めて盛土したものを古墳とすることで、土地の人にも利があり、墓主にしても、結果的に古墳を作る目的を果たせるという、両者の利害を一致させ、造営したのではないだろうか。(根拠となる資料はない)
(あくまでも推察というか、現地に立ってみた時に、地形や景色から感じたところをそのまま述べたまで。)
名 称 | 遠見塚古墳 |
住 所 | 宮城県仙台市若葉市区遠見塚 |
造営年代 | 4世紀末~5世紀初め |