【 もくじ 】
寺社概要
- 寺社名称 : 中尊寺
- 住 所 : 岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
- 宗 派 : 天台宗
- 山 号 : 関山(かんざん)
- 御 本 尊: 釈迦如来
- 創 建 : 850年
- 参拝時期 : 2018年
世界遺産
- 世界遺産に登録され、駐車場・行先表示・通路・トイレ等の整備が徹底的にいきわたっていた。
- 特にトイレは、清掃係の方が常駐し、水を使って完璧にきれいな状態を維持されていた。世界遺産への登録というのは、これほど大変なんだとわかった。
- 外国人の方も多く来られていたが、これなら誰に対しても恥ずかしくないと思う。
- 上の写真は、教科書にも載っていた国宝の「金色堂」。拝観したら、その豪華さ・大きさ・迫力に圧倒。藤原氏の栄華、その権力と財力の証として圧巻である。
月見坂
- 中尊寺の入り口、ここから「月見坂」へと進む。上り坂は、結構きつい。
- 「月見坂」を登りきったところ。ここまでは、かなり急勾配(15%以上に感じた)なので、足に自信のない方にはかなりきついと思う。
本堂
- ここをもう少し進んだ右手に「本堂」がある。ここには、本堂の他、17か院の子院、本尊の釈迦堂などが、点在している。
不動堂
- 私は、本堂の少し先の左手にある、「不動堂」に惹かれた。中尊寺の祈祷道場である、その本尊の不動明王像は、他では見たことがない、何とも優しい、おおらかな、品のあるお顔だった。「撮影禁止」だったので、紹介できません。是非一度ご覧ください。
義経をお祀りするお堂
- これらの立派な伽藍であるが、1337年に大火災にあい、金色堂以外のほとんどを焼失した。松尾芭蕉が訪れた時に、その荒廃ぶりを嘆いたことが伝えられている。明治時代に本堂が再建された。
白山神社・能楽堂
- 金色堂の更に奥を右に進んだところに、重文の白山神社・能楽殿(能の舞台)がある。
- 茅の輪があったのでくぐったが、そのあとで説明書きを読んだら、くぐり方を間違ったらしい。
中尊寺ハス
- 別名「泰衡蓮」という古代ハスのこと。1950年金色堂発掘調査の際、4代泰衡の首桶から約100粒のハスの種が発見され、それが、発芽・開花に成功している。
- 私は、お参りした時その話を知らず、残念ながら見ていない。是非ご覧ください。
無量光院跡
- 3代秀衡公が京都宇治の平等院を模したものと伝えられている。調査によると、平等院よりも更に大きく、きらびやかであったという。この地に、都を恋しく思う気持ちを忘れようと、本物の平等院以上の極楽の世界を作り上げた。
- 実際に、池のほとりに立つと、池の形や建物跡(現在建物はない)など、京都の平等院鳳凰堂の雰囲気に本当によく似ている。平等院が限られた敷地の中にある、「閉じた感じ」がしたのに対し、こちらは、周囲に何もなく、おおらかで「開いた感じ」を受ける。
柳之御所跡資料館
- 藤原氏の政庁である「平泉館」の跡とされる「柳之御所跡」の資料館に歴史年表が掲載されていた。
- 義経が討たれた後、程なく藤原氏が滅ぼされているされていることがわかる。義経を討ったにも拘わらず、頼朝の信頼を得ることができなかった。ということは、いろいろ経緯があったのだろうが、ひょっとして、やはり義経を逃がしていたのではないか、、、?
- 職員の女性に義経伝説について聞いてみた。その答えは、「歴史通りであり、それ以外の話は聞いたことがない。」とのこと。考えてみれば当然で、逃がしたのなら、絶対に秘密裏にしておくだろうし、逃がした話が残るわけはないか。勇気を出して聞いてみたが、愚問だった。
義経北行き伝説
- 岩手県各地に、義経北行伝説が残されている。その舞台となった地である。伝承では、義経一団を討つために、3万人の軍勢で祠を取り囲んだということになっている。嘘をついたのなら、本当に大したものだと思う。3万人で包囲したというのが大ウソか。(3万人の目の前で逃亡を見逃すことはさすがにできないだろう。)
- 謎、ロマンである。
- その現地をいずれ、訪れてみることにする。