【 もくじ 】
神社概要
- 神社名称 : 靖国神社
- 所 在 地: 東京都千代田区九段北3丁目1番1号
- 御 祭 神: 護国の英霊246万6千余柱
- 創 建 : 1869年
はじめに
- 先の戦争に赴き亡くなった英霊をお祭りする靖国神社を参拝した。
- ちょっとイメージと違ったのは、「日本建国以来、争って負けた側の人も全て、建国のために尽くした人」という考えで敬意ををはらわれていることだった。
由緒
- 1869年に東京招魂社として創建された。
- 明治天皇の命により国家のために一命を捧げた人たちの霊を慰め、その事績を後世に伝えるのが目的。
- 1879年に靖国神社と改称された。
「我が国の 為を尽くせる人々の 名もむさし野に とむる玉かき」
明治天皇 御製
御祭神
- 246万6千余柱の方々の神霊
- 身分や勲功男女の別なくすべて祖国に殉じられた尊い神霊
- 大鳥居、第二鳥居、中門鳥居と順に進んで靖国の桜を見て拝殿に。
遊悠館
- 9:00~16:30 大人800円 所要時間1~3時間
- 有史以来の国の成り立ちを解説・展示している。
- 勝者・敗者の両方共に国の建国のために貢献されたという、尊敬の念をもって説明されていることに感動した。
- 更に進むと第2次世界大戦に関係する遺品などを展示してある。手紙や、写真などが壁一面に貼られていた。
- 展示室の次は遺影写真。その一人一人がどんなにか生きたかったか、語りかけてくるように感じ。その無念さが胸に押し迫り感極まって涙があふれ顔がくしゃくしゃになり人に見せられる顔でなくなって、とても前を向けなくなってしまった。
花嫁人形
- 花嫁人形が戦死者のお嫁さんとして飾られていた。
- テレビ番組の「たかじんのそこまで言って委員会」の中でも、政治評論家の故三宅久之先生が平成25年頃に紹介されていたが、独身のまま亡くなった我が子を不憫に思うご両親の思いを想像すると、とてもいたたまれない。
- また涙。
人間魚雷 回天
- 太平洋戦争で大日本帝国海軍が開発した人間魚雷で、日本軍初の特攻兵器である。
- 全長14.7m、直径1m、最高速度55km/h、23kmの航続可能とある。
- ハッチは内部からは開閉可能ではあるが脱出装置は無く、一旦出撃すれば攻撃の成否にかかわらず乗員の命はなかった。
- 実物を見た印象は「大きい。一人でこれに乗って、確実に死ぬ。ハッチを外から絞められ出撃する。その時どんなにか心ぼそく悲しく両親を恋しく思ったか。」
- 回天で出撃した百名余りの兵士が亡くなっているという。
- 筆者の父親は昭和3年生まれで招集は受けていないが、親に内緒で特別志願し「特別年少兵」として出征した。海軍に所属し最後は横須賀港から出撃した艦隊の護衛艦に乗務した。出港後間もなく敵機の攻撃により乗っていた艦が故障したので横須賀へ引き返したところで終戦を迎えた。先へ進んだ艦隊は全滅となった。目の前で何人もの戦友が亡くなるのを見た父が言うには、死んでいった者は皆父・母を呼んでいたという。「とーちゃん! かーちゃん!」と。
「遊就館」名称の由来
- 中国古典の「荀子」の中で「君子は居るに必ず郷を擇び、遊ぶに必ず士に就く」とあることに由来し命名された。