【 もくじ 】
遺跡概要
- 遺跡名称 : 今城塚古墳
- 住 所 : 大阪府高槻市郡家新町
- 形 状 : 前方後円墳
- 築造年代 : 6世紀
- 出 土 品: 家形埴輪、武人埴輪
- 被 葬 者:(推定)第26代継体天皇
- 駐 車 場: 隣の今城塚古代歴史館を利用
継体天皇の陵墓
- 大阪府高槻市街からほど近い場所にある、継体天皇の陵墓である。6世紀前半、二重の濠を有す前方後円墳では、淀川流域最大規模となる。ここか西へ約1kmに太田茶臼山古墳があり、宮内庁ではそっちが継体天皇陵としている。
- また、埴輪祭祈場があるが、大王の埴輪祭りが再現されているのは、ここだけとのこと。
- 住まいの近くだが、たまたま行ってみたら、こんなすごいものが身近にあったのかと驚いた。継体天皇は北陸出身で何故、天皇になれたかとか、学者は懐疑的なことをいろいろ言っていたが、実際に墓があるのだから、実在の人だと証明されているということだろう。
継体大王の陵墓
- 継体天皇は、出身地は滋賀県高島町で、福井県丸岡を治めていた後に、天皇に即位。
三島の地
- 淀川中流域で水運の要であり、また、陸路でも山城と難波を結ぶ交通の要所であった。この地には、秦氏・呉氏・辛氏・矢日部氏・新羅人などの渡来系の人が多く住んでいた。
- しかし、三島県主は大和政権に関係のある人であり、渡来人ではなかったという。
三島古墳群
- 卑弥呼が魏から鏡をもらった後、倭の五王が中国へ遣使を送っている。その頃から、三島地方に古墳が多く造営され、大和政権が成立している。
- 天満宮山古墳・岡本山古墳・弁天山古墳・太田茶臼山古墳・塚原古墳群・阿部山古墳など。
継体天皇没
- 531年継体天皇没。
大王の石棺
- 平成17年に、9tの重さのある大王の石棺を人力で引くイベントがあったことが、パンフレットに載っていた。凝灰岩の石棺は、熊本県や兵庫県(石の宝殿)から船で運ばれ、淀川を上り、陸からはソリで引いた。それを450人で実際に行ったとある。