【 もくじ 】
神社概要
- 神社名称 : 溝咋神社
- 住 所 : 大阪府茨木市五十鈴町9-21
- 御 祭 神: 玉櫛媛命
- 創 建 : 不詳
はじめに
- 五十鈴市民プールの程近くの住宅街の中にあり、目の止まりにくい。行ってみると、中々大きな神社だった。しかも、神武天皇の皇后がお祀りされている。
由緒
- 古事記では、物主が玉櫛媛命を見染て結婚した。日本書記では三輪神の子である事代主が、八尋熊鰐(やひろのくまわに)になって玉櫛媛のもとに通い、結婚したとある。
御祭神
- 玉櫛媛命 ・・・玉櫛媛命の母
媛蹈鞴五十鈴媛命・・・神武天皇の后
溝咋耳命 ・・・玉櫛媛命の祖父
天日方奇日方命 ・・・玉櫛媛命の兄
速素盞嗚命 ・・・玉櫛媛命の祖 - この御祭神をみると、主役は玉櫛媛命に見える。かの有名な神武天皇の后ではなく、その母が主祭神とはどういうことなのか?
- やはり、神武天皇は架空の人物(その后も)で、その母は実存したということか?
- 三島溝咋耳一族5名をお祀りしている。・・・三島の人々は渡来人だとする説があるので、速素盞嗚命もそうだということになる。
- 「溝」は「水」を、「耳」は「長い」を表す。
150mほど続く松並木の参道
- 一の鳥居から先は、左右に松の並木が続き、実際に歩いた感じでは、約150mとみた。


境内・社殿
- 二の鳥居の前・・・ネット情報では、宮司さんが不在となり、地震や台風で被害を受けたままの状態…。とのことで、もっと荒れた様子を想像したが、綺麗で立派なたたずまいだった。

神門や手水舎、摂社など立派
- 神門
- 門の手前右手にある「忠魂碑」
- 手水舎
- 社殿


- 摂社
台風や地震の被害から修復中
- 奥の社が修復工事中。寄付のおかげらしい。
三島溝咋耳一族、「くいの神」とは
- 「咋」の字が作神様は、溝咋の他には、「大山咋」がある。もっと他にありそうで、ない。
- 「くい」は「杭」であり、「所有する」とか、「神様の依り代」を表すらしい。
- 「溝咋神社」・・・溝咋神社の上宮があった場所は、水路があり水流を制御する杭が多数打たれていたから。
・・・三島溝咋一族が安威川の水利を管理していたから。
などの説があるようだが、よくわからない。そういう意味なら、他の地域でも、似たよう名前が沢山あってもよさそううなものを。
三島溝咋の別名:賀茂建角身命
- 賀茂建角身命は下鴨神社の御祭神で、父は「天櫛玉命」、子は「玉依彦命」「玉依姫命」で、三島溝咋を別名とする。
- 神武天皇の道案内をした八咫烏は、賀茂建角身命本ではなく、一族の中にいたといのが、有力。
その他写真一覧
- 「牛頭天王社」と呼ばれた時期もあるので、それに因んでの奉納なのか?
おわりに
- 弥生時代~古墳時代には、海岸線は安威川まで迫っており、溝というより、水運を意味していたかもしれない。水路運搬の利権を把握していたなら、相当の権力を掌握していたのかもしれない。