【 もくじ 】
概要
- 名 称 : 茅野市神長官守矢史料館
- 住 所 : 長野県茅野市宮川389番地の1
- アクセス : 諏訪大社前宮近く
- 拝 舘 料 : 百円(大人)
- : 写真撮影OK
神長官守矢家
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守矢家は、古代から明治時代まで諏訪上社のの神長官という役職を勤めた。大祝諏訪氏は現人神であり、実際に神事を取り仕切ったのは神長官をはじめとする五官祝であった。
- 国譲りの際出雲から来た建御名方神に従ったものの、実権は掌握したということのようで驚き。
- 守矢氏は、洩矢神(もりやしん)の子孫であり、ミシャグチ神(御左口神)を祀っていた。
- このような記述を事実とすると、遡って考えると建御名方神の存在も事実となる。
- 神話と歴史がつながったか。神話の世界の神様の後ろ姿を垣間見たような気がする。
史料館
- 武田晴信、真田昌幸といった戦国武将の書状などが展示されており、当時の歴史と諏訪上社と守矢氏の力が伺える。
御頭祭
- 酉の祭とも言われ、諏訪上社の重要な神事で、鹿の首75頭を供えた。現在は剥製のものが使われており、ロビーの壁面に復元展示されている。
祈祷殿
- 神長官が祈祷するための建物
ミシャクジ社
- ミシャクジ神(御左口神)をまつる神社。
- 御佐口神は諏訪社の神事では、非常に重要な役割を果たしていたという。
おわりに
- 諏訪では、建御名方神は国譲りの敗北者としてではなく、守屋山に天降ったとされる記述もある。
- 長野県内各地には、建御名方神の敗走の言い伝えがいく種類もあるという。
- どういう状況であれ、建御名方神が他方から来て土地の神と和合し郷土造営を行ったと言えるのでは。
- 敗走したのか、元々諏訪地方が大和朝廷に従わない難しい市域であり、この地域限定で建御名方に征服させたのかも。
参照:「神長官守矢史料館リーフレット」