【 もくじ 】
古墳概要
- 古墳名称 : 造山(つくりやま)古墳、
- (「作山古墳」に対し、ぞうざん古墳)
- 住 所 : 岡山県岡山市北区新庄下
- 古墳規模 : 墳丘長L=350m、後円部高さH=29m
- 被葬者 : 不詳、下道臣の祖、御友別命(妹の兄媛は応神天皇妃)
- 築造年代 : 5世紀前半
- 駐車場 : 造山古墳ビジターセンターに無料駐車(徒歩3分)
造山古墳ビジターセンター
- 展示パネルの内容はなかなかユニーク。
展示パネル1:吉備ができるまで
- 2500~3000年前に、朝鮮半島から水田技術がもたらされた。
- 北九州を経由し、西日本~東北地方まで伝わっていった。
展示パネル2:吉備の実力
- 2000年前の弥生時代後期、当時最大規模である、楯築墳丘墓が築造された。
- この王は、107年に後漢に朝貢した、「倭王帥升」だとする学説がある。
展示パネル3:吉備と邪馬台国
- 古墳時代初頭、鉄器時代となった。その鉄は全て朝鮮半島産だった。
- 日本海ルートと瀬戸内海ルートがあったが、吉備と大和が手を結び、瀬戸内ルートに1本化した。
- これにより、交易による利益が特定の地域に集中するようになった。
- 大和が邪馬台国で、吉備は投馬国であるとする説がある。
展示パネル4:吉備の古墳時代
- 国内で最初に築造された大型前方後円墳は、箸塚古墳である。それを1/2に縮小したものが、岡山市にある、浦間茶臼山古墳である。
- 古墳時代中期には、超巨大な造山古墳が造られた。
鬼とされる温羅は、悪役ではなかった。
周辺の様子
周辺の遺跡について
造山古墳
- 前方後円墳の規模としては、全国第4番目。
- 墳丘に立ち入りができる古墳としては全国最大規模。
- 宮内庁が立ち入り禁止しに指定してないということは、被葬者は天皇家以外ということだろうか。
- 上石津ミサンザイ古墳(大阪府堺市)の96%相似形とされ、その関係性が指摘されている。
被葬者
- 被葬者は、下道臣の祖:御友別命(妹の兄媛は応神天皇妃)または、吉備政権の首長と考えられている。
荒神社
- 前方部の頂部に荒神社という社がある。
手水鉢
- 乞う神社の脇にある手水舎は、阿蘇溶結凝灰岩製で、くりぬき式の石棺である。
- 姫路の竜山石ではなく、九州から運搬している。当時九州勢力が岡山へ移動してきたということか?
吉備邪馬台国説
- 造山古墳ビジターセンターの展示パネルの内容や、現地の様子などから以前から耳にした邪馬台国吉備説が荒唐無稽と思っていたが、意外と真実味を感じてしまう。